ストーリー



 茨に囲まれた古城。家臣たちはみな、姫の眠りに嘆き悲しみ、再び姫が目覚めるその日まで共に夢魔の腕に囚われることを望んだ。
 そうして長い歳月が過ぎ、誰もがみな、古城の存在を忘れたとき、隣国の王子が狩りの気まぐれに古城を訪ねる。
 よき魔女は言う、塔には眠りの姫がおり、どうか姫を救ってくれと。
 悪しき魔女は言う、姫を殺せばこの国はお前のものだと。


「さて、お前はどうする?」
 悪しき魔女が王子に問いかけた。
「どうか姫を救ってください」
 よき魔女が懇願する。どちらが正義かなど、考えるまでもなかった。
 王子は頭上たかくに見える塔を見上げ、剣の柄を握る。
 古城に張り巡らされた茨は己を傷つけるだろう。鋭い棘、ときのとまった場所、生が消えた眠りの城。なにがあるかわからない。
 よき魔女の言葉も、悪しき魔女の言葉も信用できず、だが、だからとこの場に留まることはできない。それは十分にわかっている。
 唇を噛んだ。血の味がする。
 こぶしを握ると痛い。いや、これは――
「かぁーっと!」
 大音量で響く声が脳天を直撃した。途端、薄闇だった空間に光が差し込む。
 これは、蛍光灯の光だ。
 薄明りが周囲に溶け込み、色が個々を主張しだすと見慣れた教室が目に映る。
 時間割が張られた掲示板、長針が少し早く設定された置き時計、上部だけが汚れた黒板。そんな中、教壇の横で小型メガフォンを持った委員長がメガネを光らせている。
 視線は俺のほうへ。軽く微笑みを返してみるが効果はなく、委員長は不満げに俺、王子さま役こと木島 蓮(きじま れん)を指差した。
「木島くん。台詞覚えてないの?」
「ごめん、なんだっけ」
「『ああ、僕は姫を救いに行く! 茨など恐れるものか、愛のためならばいかなる苦難にでも耐えてみせる』」
 細い指で握りこぶしをつくり、委員長が言う。普段はまだ大人しいのに、演劇のことになると目の色が変わるらしく、今も普段の大人しさをどこかに放り捨ててきたのか仁王立ちだ。
 あ、ターンした。両手を天井に向けて、恍惚とした表情をしている。
「『待っていてくれ眠り姫、君を目覚めさせるのはオレの役目だ!』だよ」
 最後を俺のほう見て言う当たり、役者だなぁって思う。
 うんそう、そんな感じの台詞だった。うん、間違いない、けど。
「なんでセリフがこんなに長いんだ? 『行く』って言えばいいだけなのに。愛とか試練とか、しかも、最初は僕って名乗りながら最後にはオレになってるし」
「そこは……好きなほうで言っていいよ」
「適当でいいと?」
「適当はダメ! 演技に適当なんてないの。木島くんは王子さまなんだよ。お姫さまが待ち焦がれる素敵な王子さま! ……でも、木島くんならオレのほうが言いやすいかなぁ」
 とか言いながら委員長は自分の持つ台本にメモしている。
 周囲の連中は自分がお叱りの対象じゃないからってのんびりムードだ。
 裏方連中は雑談してるし、魔女役はローブが暑いのか、手でローブ内に風を送っている。
 そして肝心の眠り姫はというと、今回は出てこないシーンなので舞台袖で待機。しかもなぜかVIP対応。一人だけ長椅子に座って扇で扇いでもらっている。
 扇いでいるのは眠り姫の側近兼、彼女のファンだと言い張る家臣A。
「木島くん、聞いてる?」
「聞いてるよ、聞いてます」
「じゃあさっきのところもう一回!」
 嬉しそうに台本を握り締めて言う委員長。普段は見せない満面の笑みに幸福感と少しの悔しさが募る。コレが二人っきりのときだったらとか、考えても仕方ない。
 くそう、どうして俺が王子さま役なんて!
 助監督とかだったら、もっと近くにいれたのに。
 

 眠り姫に恋をする王子さま。
 普通、童話の世界の王子さまは綺麗なお姫さまに恋をする。
 けれど俺が恋したのはお姫さまじゃない。そんな世界に行きたいだなんて言わない、物語の語り手となる少女。
 どうしてそんな少女に恋をしたのか? そんなのは俺の勝手だ。
 でも少しだけ、俺が委員長といたときの話をしよう。
 あれが高校生活のアオイハルだろうし、俺の初恋だから。