物語

ダイジェスト代わりに台本の一部を紹介します


シーン1 モノクロ写真店

 自分が特別な存在であるなどと、信じたことはない。
 体つきは平均値。特技だってない。得意なことといえば写真を撮ることくらいで、それだって抜きん出て上手いわけじゃない。
 今日は曇り。
 写真部の待ち合わせ場所に向かいながら歩道を歩いていると、隣で歩調を合わせてネコが歩いている。
 どこに行くんだと問いかけたら逃げられた。
 ふと、視線が斜めを向く。
「……こんなところに、個展?」
 小さな看板が目に留まった。
「『ギャラリー、千葉』写真の展示か」
 コルクボードには愛らしい文字で『見学料は無料です!』と書かれている。
 見上げると上層階へのエレベータが一つ。
 随分古びているけれど、上ボタンを押すとチンと小さな音とともに扉が開いた。
 腕時計を確認する。
「まだ時間大丈夫だし、ちょっと見てみるか」
 ジャケットの前を掻き合わせ、エレベータに乗り込む。
 ゆっくりと扉が閉まる。
 緩慢な動きで上昇へ向かうらしい。
 壁は汚れていて、触れたら汚れるだろう。その一角にコインで削ってつけたのか落書きがあった。
「落書きか。あ、い、た、い?」
 恋人へのメッセージだろうか。
 チンと小さな音がし、エレベータがとまる。
 扉が開くと目の前には年季の入った木造の扉が出迎えてくれた。
 他にはなにもない。非常階段も、消火器も。窓も。
 少しの恐怖心と共に軋む音が響く部屋の中へ入ると古臭い匂いが鼻についた。
 全体的に暗い部屋だ。間接照明しかないせいだろうか。窓は3つ在るが、その内1つはカーテンで閉められている。
「いらっしゃい。珍しいね、お客さん?」
「いま、やってますか?」
「やってるよ。好きに見てね、他にお客さんもいないから」
 カウンター越しに工具用エプロン姿の女性が話しかけてきた。セミロングの髪に、少したれ目。知的というよりは柔らかい印象だ。
 彼女は猫を模したスリッパをはいている。案外お茶目なのかもしれない。
 展示されている写真を見渡すと、色がない。
「モノクロ写真、ですか」
「若い子はあまり好きじゃないかな?」
「いいえ、見せてもらいます」
 音もない。色もない。白と黒のコントラストが印象的な絵が壁に並んでいる。
 息を吐くと、呼吸音すら邪魔な気がして、僕は息をとめた。
 写真の中では太陽が輝いている場所は強烈に白く、建物は己の存在を隠すかのように黒に染まっている。
 色があって然るべき場所に色がない。その矛盾に酷く惹かれる。
 強い陰影からどうしてか目を離せなくて、もっと近くで見たい。そう思って一歩足を踏み出すと、女性がカウンターから身体を乗り出した。
「なにもないところだけど。お茶くらいなら出せるけど?」
「いいえ、お構いなく」
「写真、撮る人?」
「ええ、風景画を」
「人は? 嫌い?」
「人は……上手く撮れないので」
 そう言って僕、久住恭介は軽く笑った。すると女性も苦笑する。
「そっか。私もね、カラーは上手く撮れないの。色があると駄目みたい」
「……そうですか」
 彼女がカラー写真を上手く取れないのには、理由があるのだろうか。
 まぁ、僕が聞いたところで仕方のないことだ。そう思い視線を写真に戻した。
 色のない鮮やかな世界が広がっている。
「綺麗ですね」
「ん?」
「写真」
「ありがとう」
 モノクロ写真は撮ったことがないけれど、純粋に美しいと思った。
 葉から落ちる雫。普通であれば色があり瑞々しいその光景が、白と黒の世界だとどこか背徳的だ。
 首を傾けると一角だけ、変に黒い写真だらけのところがあった。
「これは――」
「ああ、これは……あはは、やだな。外し忘れてたなんて」
 女性は慌てて写真を外そうとする。
 あの黒は――
 おそらくこの間起きた地震の時のものだろう。写真を片付ける手の隙間から瓦礫などが断片的に見えた。
 静かな白黒の世界。
 そんな写真の世界にのめりこもうとした僕を現実に戻したのはズボンにさしたままの携帯。
 バイブレーションが、けたたましく出ろとせかしてくる。
 女性はカウンターに肘をつき、微笑んで言う。
「携帯? いいよ、出ても」
「すみません。はい、久住。え? でもまだ時間は……分かりました、今から行きます」
 通話先の相手は、用件だけ伝えると返事も聞かず切ってしまった。
 ツーツーと、小さな音が部屋に響いている。
 女性と目が会うと携帯を指差される。
「呼び出し?」
「すみません、待ち合わせ時間はまだなんですが、早く来いって」
「ううん、いいよ。ありがとうね、こんな小さな個展を覗いてくれて」
「いいえ。……また、来てもいいですか」
 僕の言葉が意外だったのか、女の人は驚いて、でも嬉しそうに微笑んでくれた。
「木曜日と土日以外は開いてるよ」
「はい」
 年季の入った扉を出て、狭いエレベータに乗る。
 チンという小さな音と共に開く扉。
 古くて汚いのはさっきと一緒だ。
 けれど。
「あれ? 落書き、消えてる」
 来るときにはあった落書きが、消えていた。

シーン2 道端

 写真店を背に歩いていると、人ごみにまぎれてしまう。
 それはそうだろう。僕には個として突出した特徴がないのだから。
 赤信号でとまる足。風がきつく、落ち葉が舞っている。そろそろ秋が終わる。
 僕は左肩からかけてある一眼レフカメラをひと撫でする。
 これから集まるのは写真部の人たちの集まりだ。部活ではないが、部長が廃墟を見つけたから是非行こうと言い出し、集合する運びになった。
「部員って言っても、3人しかいないけどな」
 部長の神崎、モデルの仲原、そして僕、久住だ。
 思い起こしながら足を踏み出した瞬間、背後から腕をつかまれた。
「危ないわ」
 その声と同時に僕の肩擦れ擦れをトラックが猛スピードで通り過ぎて行った。
 突然のことに、声が出なかった。
 通り過ぎたトラックを目で追うと危険な動きで左折し、視界から消える。
 歩道の信号機は青色だ。
 僕ら歩行者が横断していい色を表している。
 唾液を飲み込むと、自分がいかに緊張していたのか分かった。
「大丈夫?」
 言って僕を引っ張ってくれた人が声をかけてくれた。
 振り返れば頭二つ小さい位置に少女がいる。
 おとなしそうな子で、透明なガラスのような瞳はとても美しい。白いケープに、雪に溶け込んでしまえそうな白い肌。ミステリアスだった。
「あ、ありがとう」
 声が震える。
 少女は僕のジャケットをゆっくりと手離す。
「気をつけてね、お兄さん」
「う、うん。でもあればトラックの方が悪い――」
 運転手のわき見運転が悪いと言おうとしたけれど、口が動かなくなってしまった。
 少女の瞳が僕を映している。
 いや、映しているのだろうか。彼女の眼に確かに僕は映っているはずだけど、彼女はどこも見ている様子ではない。
 少女は静かに首を振る。
「違うわ。トラックのせいじゃない」
「違う?」 
「あなたが死に呼ばれたの。ねぇお兄さん……死にたいの?」
「え? どういう――っ!」
 問い返そうとすると突風にあおられ、ジャケットがはためく。
 木々がざわつき、風がうなる。それらがひと段落すると少女の姿はどこにもなかった。
 信号機が、赤になろうと点滅している。